『月曜日の水玉模様』 加納朋子 [読書]
毎日満員の小田急線に揺られ通勤する陶子。ある日偶然その同じ車両で毎日見かける萩と話すようになり、日常の中の小さな謎を解いていくことに。全7話。
『LOVE or LIKE』 [読書]
ブックチャーム来る [読書]
以前応募したブックチャームが届きました。
約2ヶ月かかると聞いていましたが、1ヶ月ちょいで我が家へ。
なかなか速かったです。
う~ん。実物を見てみると意外に使いづらいかも。
でもやっぱりうれしかったり。
『サウスバウンド』 奥田 英朗 [読書]
主人公の上原二郎は中野区の小学6年生。型破り過ぎる父、上原一郎をもつ。
一郎は「元過激派」らしく「カン」と「サクシュ」が大嫌い。「いつか南の島へ移住する」と言っているが、いつも家でゴロゴロしながらたびたび市役所員と言い争いなどをしている。そしてついには二郎の小学校とも揉め事を起こしたり、よくわからない居候を住まわせたりしだし、二郎を悩ます。
破天荒な父と父に翻弄されていく家族の物語。
金のブックチャーム [読書]
「2005年新潮文庫の100冊」のうち2冊を買うともれなくもらえる、金のBookCharmがどうしても欲しくなり、その場で「海辺のカフカ」の上下巻を買い、応募してしまいました。
いつかは文庫版を買おうと思っていたので、まあいいのですが、上下巻合わせて1500円・・・。
文庫本も高くなったものです。
読んだことない薄い本を2冊買ったほうがよかったかな。
届くまで約2ヶ月かかるらしいので、届くのは夏の終わり頃でしょうか。
今はすごく楽しみだけど、届く頃にこの熱が冷めてなければいいのですが・・・。
『空中庭園』 角田 光代 [読書]
文藝春秋
郊外のダンチに住む京橋家のモットーは「なにごともつつみ隠さず、タブーを作らず」。しかしみんなそれぞれ秘密や隠し事を持っていて・・・・。
家族+α 、それぞれの目線から語られる6つの物語。
こういう話、おもしろいですね。僕は好きです。
みんなそれぞれ持っている相手への「理解」なんて所詮自分勝手で都合のよい利己的な自己満足でしかなく、しかし自分はそれが正しいものだと思っている。
「自分はこんなに我慢している」と思い出したら、危ない兆候かもしれないですね。
そう思う一方、でもそれってしょうがないとも思います。
「誤解」することやされることを恐れるあまり、なんでもかんでも聞き出したり、正直に話す。しかしそんな風にあまりにリベラルで御伽噺のようには現代はできてません。それにもしそんなだったらきっと逆に息が詰まってしまう気もします。
作品の中にも出てきたように、なんでもかんでも正直に話すことの無責任さ、というのも世の中には存在するんだと思います。
しょせん「理解」は「誤解」の集合でしかなく、結局それとうまく付き合って行くしかないのかもしれないですね。
『六番目の小夜子』 恩田 陸 [読書]
新潮社
舞台になる地方都市の高校には、代々受け継がれているあるゲームがあった。3年に1度、‘サヨコ’に選ばれた生徒が1年間に渡り、様々なことを誰にも知られないように行わなくてはいけないのだ。
六番目のサヨコの年に、「沙世子」という名の転校生がやってきたことにより、例年とは違ったことが起こり始める。
ミステリー要素の中で、すごく瑞々しく高校生活が描かれています。
ああ青春というのはまさにこういった感じなんだろう、といった風に。
僕の高校生活は男子校のうえ付属校で受験もなく、しかもあまり輝かしい記憶というのはない、といった具合にある意味この小説の状況とは真逆だったけれど、それでもやっぱり主人公たちに共感できる部分はありました。それだけ「高校生」というものは特別なものなのかもしれないですね。
この小説のジャンルは何に分けられるんでしょう??
ミステリー?ホラー?青春小説??
僕はジャンル分けというのが得意でなくてよくわからないのですが、どれも満たしているような気がしますね。
『エイジ』 重松 清 [読書]
新潮社
東京郊外に住む中学2年生のエイジ。エイジの住む桜ヶ丘ニュータウンでは連続通り魔事件が起こっていた。そしてその犯人としてつかまったのはエイジのクラスメイトだった。
その事件が起きてからエイジはわからなくなる。「14歳」で「ニュータウン」に住んでいて「普通」の「男子中学生」。世間がカテゴリー分けしてしまえば違いなんてない。僕とあいつの違いはなんだったんだろう。それとも違いなんてないのだろうか。僕もあいつみたいに「キレて」しまうんだろうか。
友達、家族、女の子。様々なものとの係わり合いの中でエイジは変わっていく。
この主人公が住んでいるニュータウンって架空の場所なんですけど、僕の住んでいるニュータウンがモチーフになっているんですよね。
もちろん僕にも中学生の頃があって、つまり僕もエイジと同じ「14歳」で同じような「ニュータウン」に住んでいる「普通」の中学生だったわけです。
『真夜中の五分前』 本多 孝好 [読書]
新潮社
広告代理店に勤める主人公は大学生のころ恋人を交通事故で亡くした過去をもつ。その経験から人を愛することが出来ないと考え続け、恋人を持っても長く付き合い続けられない。一人になった時間を持て余してプールに通い始めた主人公は、そこで一卵性双生児の妹がいるかすみと出会う。かすみは自分とまったく同じ遺伝子を持った人間の存在で起こる問題に頭を悩ましていた。
この小説は「sideA」と「sideB」の2冊構成になっています。
でも「side」と言いながら視点などはAとBで変わりません。続き物だと思うんだけど、なんで「side」って使ったんだろう?
『代筆屋』 辻 仁成 [読書]
海竜社
駆け出しの小説家である主人公は、副業として手紙の代筆屋を始める。代筆屋は口コミだけながらも盛況で、吉祥寺の路地裏の部屋に暮らす主人公の元には様々な思いを抱えた人々が訪ねてき代筆を依頼していく。全10話。
う~ん、どうなんでしょう。最後の最後までどうにも「手紙を代筆する」という、物語の柱が僕の中ではひっかかり続けました。
この本の中には手紙の素晴らしさが、それこそ溢れんばかりに描かれています。それはまったく僕も同意のところ。メール全盛の時代、手書きの手紙はやっぱり温かさがあります。
でもそれってやっぱり自分自身で悪戦苦闘しながら、それこそ身を削りながらでも書くからこそなんじゃないでしょうか。そここそが根本なんだと僕は思います。
名も知らない女の子へのラブレターを代筆してほしい、くらいならまだいいんですが・・・。自分が昔捨てた子供への結婚の祝辞とかになると、さすがにいくら文章が下手でも自分で書くべきなんじゃないかなぁ、なんて思ってしまいます。
どうしても依頼人の話が深刻であればあるほど、逆にその辺に大きな違和感を感じてしまうんです。
そもそもあんなに簡単に代筆なんてできるもんなんでしょうか・・・。
字だって真似ることは難しいだろうし、文字と同じくらい文章だって個性を映し出すと思うんですけどね。
まあでもそこはいいんです。小説ですし。
僕が一番気になったのはこの主人公が最後の方になってくると、自分の文章もろもろで簡単に相手の感情を操れると思い始めているように見えることです。なんというかナルシズムに溢れてくるんですよね。代筆で全然知らない人の感情を揺らす快感に酔っているみたいに。
ホントは全然相手をだませてなくて、自分の独りよがりだった。みたいな結論の話がたくさんあったほうが面白かったのでは。(ただ後日談が書かれていない話もあるので、実際のところはだませなかったのもあるのかもしれません)
なんて色々書いてきてしまいましたが、決してつまらないわけではないんです。文章は滑らかだし、穏やかな街並みの情景なんて素敵で、井の頭公園のボートにすごく乗りたくなったくらいです。
僕の一番好きな話は、八方美人で自分ではっきり意思を主張できない女性の話である「この際、はっきりとさせるために」です。